私のことを知っていただくために、大学卒業から現在までを思い出しながら書いてみました。たくさんの人にお世話になったんだなーと感謝の気持ちがわいてきました。良かったら読んでみて下さい。
就職氷河期
当時は、就職氷河期で20社くらい受けて(これでも少ない方です。)何一つ受からずで、就職をあきらめていました。すでに4回生の6月。この時期に就職が決まっていないのは絶望的でした。すると研究室の教授から新卒で大手グローバル企業の工場で新卒を追加募集しているとのこと。早速応募し、面接に進み、めでたく採用。物事うまくいくときは行くもんだなーとあれほど思ったことはありません。不真面目で何一つ取り柄のなかった学生に就職のお世話までしてくれるとても優しい教授でした。河合先生ありがとうございました。
働くということ
とにかく大学で勉強をしていなかったので、会社の即戦力になれませんでした。幸いにまだ当時は新卒を会社で育ててくれる時代でした。何にもできない、むしろ迷惑ばかりかけてしまっている私に対しても皆さん温かく見守ってくれ、仕事を教えてくださいました。そのおかげで、自分の至らなさを実感し、少しずつでも努力して、一人前になろうと決意したのです。温かく見守ってくれた先輩方ありがとうございました。
リーダーとして
入社して5年目になって、初めて異動し、そこで職長に任命されました。異動したての、よく分からない若者を現場のリーダーに任命しても、誰もついてきてくれません。まだ、団塊世代の方もたくさんいた時代でした。経験豊富な先輩方(自分の父と同世代!)もたくさんいらっしゃって、なかなか手強かったです。不器用な私のやれることといえば、みんなの信頼を得られるようにコツコツと一人前に作業ができるようになるしかなかったのです。そんな日々が続き、2年目くらいになると私についてきてくれる仲間も増えてきて、やっとリーダーらしくなってきました。
チームに支えられて
現場のリーダーとして、現場での監督指示も当然ながら、教育や作業手順の作成など様々な業務をこなす必要がありました。今思えば、職長としてやるべき業務の半分もできていなかったように思います。異動したての時に受けた職長教育で習ったことを有効活用できていれば、もっと確実に効率的に業務をこなすことができ、余裕のあるリーダーになれていたかもしれません。(この時の後悔が、このサイトのモチベーションになっています。)その時の私は、毎日の製造スケジュールをこなしていくことで精一杯でした。一緒に乗り越えてくれたチームのみんな、ありがとうございました。
間接部門での経験
現場を離れて、工場の安全管理部門に異動することに。やはりそこでも自分の無知さを思い知らされました。安全って、ありとあらゆる学問がごちゃ混ぜになった感じの分野なんですね。工学、心理学、統計学、衛生学、医学などなど。勉強をしてこなかった自分を責めました。上司や先輩に教えてもらいながら勉強して必死に食らいついていくので精一杯でした。また、自分の知識のなさを補うために多くの資格を取りました。外部の講習会や勉強会などにも参加し刺激を受けました。たくさんの知識を教えて下さった皆さん、ありがとうございました。
そして、独立へ
たくさん悩み、たくさん挫折しながら、自分にできることをやって何とかここまでやってきた感じです。20年も過ごした会社という組織で働くことについても、自分の中でひと段落付いたので、独立を決意しました。まだまだ、社会人として、人として未熟な自分を別の世界に追い込んで、成長してみたいという気持ちもあります。
そして、組織の一員から個人へと働き方を変えることで、自分の出来ること、したいことを通じて、「ひとのために」働くことが可能になるんじゃないかと。その結果、自分の人生をより豊かなものにできるんじゃないかと。思ったんです。
これまでの人生、たくさんの人からの支援をいただきました。
これからの人生、たくさんの人を支援する活動をしてみたい。
そんな想いから、会社の屋号を”office hitonotame”にしました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
読書レビューのコーナー
ひっそりと読書レビューをしています。更新頻度は少ないですけど、良かったらどうぞ。